『りりかの星』が遂に聖地に帰還する。
その昔、札幌の老舗商店街 “狸小路五丁目” には〈日活館〉という二番館があった。 いまとなっては二番館!? 自体を説明せねばなるまい。邦画各社が隔週で、新作二本立て封切公開していた時代。封切終了直後に各社の映画を組合せて、比較的安い入場料で上映していた映画館である。
この一帯、火災にみまわれた事もあったが、その日活館の二軒隣に“武田洋装店” があった。私の叔母の嫁ぎ先のメンズショップだ。商店街ご近所のよしみで回ってきた日活館の招待券が、甥っ子である私の元にいっぱい回ってきた。札幌市内、あちこちの映画館を渡り歩いたが、日活館にはよく通った。
そして1972年、高校二年の少年が日活館で、深作欣二監督『現代やくざ 人斬り与太』と決定的な出逢いを果たす事となる。
それまで、授業をサボるために見ていた映画とは全く違う衝撃。菅原文太が暴れまくる、あまりのバイオレンスと、剥き出される渚まゆみとの、切なすぎるエロティシズム。その凄さを、当時のガキの私の頭では到底言葉に出来なかったが、生涯映画に関わる仕事をしたい、と決意した事は鮮烈に覚えている。
その年、続く深作欣二の更なる傑作『人斬り与太 狂犬三兄弟』(これは待ちきれず封切館·札幌東映に見に行ったはず)と、イエジー・スコリモフスキー監督『早春』(こちらはキャパ 6~700席の札幌大映で貸切状態で見た) という強烈な後押しがあったとはいえ、あの時、日活館で『現代やくざ 人斬り与太』と遭遇していなければ、今の私は存在していないと言って間違いない。
日活館はその後、東宝プラザ、札幌プラザ2·5 と改称、改築、そして現在 〈サツゲキ〉として、同じ変わらぬサッポロの地に、今も建ち続けているのである。そのサツゲキに、あの日の少年 (今はオヤジ) が監督した『りりかの星』が還って来たのだ。
私が映画評論の指針とし、『りりかの星』が目指したのは、近年の映画に不足しがち、避けがちなエロスとタナトスの拮抗、その復権だが、思えば日活館の深作映画が、やはり原点なのではある。横浜ロック座でロケしたストリップ場面は、旧態イメージとは違う現在のストシーンに近いものだが、それともまた異なって、エロスとタナトスがせめぎ合う幻想的な異次元空間を目指した。主人公の父親と共に、是非瞠目して頂きたい。
ちなみに、私が初めて足を踏入れたストリップ劇場もススキノの小屋だった。当時は何軒もあり劇場名も定かではないが、日野繭子と螢雪次朗が乗っていた。白夜書房の編集者だった私は二人と懇意で、年末帰省の折りに偶々遭遇したのである。
かつては竹村祐佳や久保新二をはじめ、ピンク女優や男優がよく各地のスト劇を回っていたものだ。繭子にステージに上げられて、一緒にポラを撮らされた(笑)。終わってから楽屋に呼ばれ、繭子、螢三人で年越し蕎麦食べながら紅白歌合戦を見たのも懐かしい。ちょいとした駆け出しの永井荷風ときたもんだ(笑)。もはや北海道、東北にスト小屋の只の一軒も無い。
閑話休題、小室りりか嬢の記録映像として始まり、紆余曲折あって今の形になった『りりかの星』だが、そのりりか嬢も7月11日から、もう一つの聖地、横浜ロック座の舞台に乗る。札幌と横浜、二つの聖地、どちらにも御運びを乞う次第。
※『サツゲキ』では「りりかの星」単独の上映です。「牛頭」の上映はございません。