李相日監督『国宝』が公開中だが、畏れ多くも、失礼ながら(笑)『りりかの星』との接点を感じ大変興味深く拝見した。やくざ組の大出入りから始まるのも、近年の東宝映画らしからぬ手応えあり。
任侠の一門に生まれた男が、歌舞伎の女形として人間国宝へ。歌舞伎名門の血筋との軋轢の内に魅せる、数々の舞台の迫力は、同じ古典芸能の、その源たるストリップの舞台演出に力を注いだ『りりかの星』も、どうして引けをとるまい。
監督彼我に演出力の差はあっても(笑) 歌舞伎とストリップに差別、区別などあってはならぬ。『国宝』と『りりかの星』、ともに日本の芸道映画なのだ。ラストカットもまた、舞台に降り注ぐ紙吹雪、という偶然も必然か。
だがしかし、真に興味を引かれたのはそこじゃない。ドラマの重要な役、いやこの映画の核だと私は睨んでいるキャラクターを演じる瀧内公美の名が、ポスターや宣伝に一切出てこない事である。
無名の新人ではないよ。廣木隆一の『彼女の人生は間違いじゃない』に主演し、以来注目され (いやそれ以前から気になって、ゆうばりファンタの審査員も請けて貰った) あの瀧内公美だよ。今やその名で集客も望めるだろうに、なんで?
事務所との契約やら何やら、ギョーカイ的裏事情もあるやも知れんので、具体的な役どころは控えるが、謂わば人間国宝に対する“怨み”と、同時に併せ持つ“賞賛”を一身に体現する (しかも一瞬の出番で) 存在なのである。こうしたインパクトのある出方で、ドラマの核心を突ける女優にまで成長して、嬉しい、と取るべきなのか。
そうなのだ。私が描こうとしたのも、その “憎しみと賞賛” なのである。
『りりかの星』では父娘の葛藤に集約させているが、仮に、私の惚れた女がストリッパーだったとしたら···。彼女や、その観客に対する、怨みや憎しみ、嫉妬や不安。と同時に、その芸や肉体の美しさ、素晴らしさ、希少性は、より広く開かれて然るべき、という称賛や賞賛。
そうした二律背反の切なさ。それこそが私が観たい、作りたい映画なのである。
李相日監督がやりたかったのも、実はシークレット╱瀧内公美、がコアだったのでは? というのが評論家·塩田時敏の見立てではある。
この『国宝』、今年のカンヌ国際映画祭、それも監督週間に招待された。思えば2002年のカンヌの監督週間、日本からの招待作が併映の『極道恐怖大劇場 牛頭』(三池崇史監督)だった。これも何かの因縁か?
人の生き死にに関わる、看護師とストリッパーの近似値を照射する核心を、三池崇史に演じて貰った『りりかの星』は、三池の名をシークレットにする事なく目一杯使わせて貰っているが(笑)。
ともあれ、“〈牛頭りりか〉公開一周年記念上映” スタートです!
※『サツゲキ』では「りりかの星」単独の上映です。「牛頭」の上映はございません。